「こうはなりたくない」と思っていた母親が実は自分の理想像だった

人生

こんにちは~

ともろ~です

2月あたまにインフルエンザで1週間寝込みました。

インフルは高校生の時にかかったぶりでめっちゃしんどかった。

 

で、私は病気というと大げさやけど、こういう寝込む事態になった時って絶対意味があると思ってて。今回も寝込んだのをきっかけに、見直すことになったことがありました。

 

たぶんインフルにかかっていなかったら、そのことにはしばらく目をつぶっていたと思います。

 

そしてインフルを皮切りにその“こと”を見直したことで次々と周りの環境が変わる出来事が起きました。2月はそんな月でした。

 

色々あった中でも、ずっと嫌ってた母親を初めて心の底から違う目で見れた話しをしたくなったので書きます。

 

 




 

 

 

母親を嫌っていた理由

 

家族仲が良い人もいれば悪い人もいるし、親の事が好きな人もいれば嫌いな人もいますよね。

私は父親の事も母親の事も嫌いでした。

ずっと裏切られてきたからです。

 

うちは父親が本当に心が弱い人間で何かあるとお酒に逃げて飲んだくれて働かない。それはもう、「ドラマかよ」って思うくらいドラマに出てきそうなクソ親父でした。

 

機嫌が悪ければ理不尽なことで怒鳴られて殴られてタバコ投げつけられて、ほんまに怖かったんですよね。

 

家にいてもくつろげない。怖くて常にびくびくしてる状態が高校生まで続きました。

大学生になっった瞬間家を出て一人暮らし。

「やっとあのくそ野郎から解放される。」そんな思いしか頭になかったです。

 

なのに解放されてすぐに父は自分で死にました。うつ病です。

 

で、これ言ったらひかれそうですけど、当時は「死んだ」って聞いても全然悲しくなくて、むしろ「今かよ、おそっ。死ぬならもっと早く死ねよ」って本気で思いました。

 

「せっかく大金はたいて家を出たのに、出たとたんに死なれたら意味ないやん。」それしか思わなかったです。

 

そんな父親を嫌うのはわかるけど、なんで母親も嫌いなん?と思われるかもですが、それはそんな父親とずっと一緒にいさせたからです。

 

父親の事はもう途中からなんか諦めていて、「この人は心が弱いんだ、かわいそうな人なんだ」って思ってたんですよね。

 

でも母親には期待してたんです。

 

うちは3人兄弟なんですが、兄弟全員で「お願い離婚して」って小学生のころから何度も頼んでたんですよね。でも母親は離婚しなかった。

 

父親の事好きだったのかもしれないし、それは知らんけど、「母親がわたしたち兄弟をわざわざつらい環境に置いていた」といつからか思うようになりました。

 

だからず~~っと恨んでました。

 

時は経っても何かの拍子に想いが溢れる

 

で、私も成長するし歳もくうし、親に対して嫌いだなんて思いをぶつけることなんてしなくなります。

“トラウマ” とか “親のせいで” とか、“家庭環境のせいで” とかそんな風にも思いたくなかったんですね。

でも心の底ではずっと引っかかってるから母親と何かあるたびに、その気持ちがあふれ出して止まらない。そんなのを34歳になるまで繰り返していました。

 

今更過去のことを言いたくもない、親のせいにもしたくない。

自分は母親に何を期待してるのか。考えました。

 

私はただ、お母さんに「辛い思いをさせたね、ごめんね」と言って欲しかっただけ。

自分がいつもびくびくして怖かった想いを受け止めてほしかっただけ。

なのに母親はいつも「もっとひどい家庭環境の子はたくさんいる」とか言って私の気持ちを慰めてくれなかった。その一言で私の気持ちは報われるのに母親なのにその一言を言ってくれなかった。

それが許せなかった。

 

 

ある日「ごめん」と言われる

 

そんな数十年を過ごしてきて今回10年ぶりに実家に長期滞在しています。

そんな中でまたもめました(笑)

結局その繰り返し。

でも今回初めて「ごめん」と書いた手紙をもらうことになります。

その「ごめん」の内容も正直少し的外れだったけど、なんかもういい加減自分のその想いを手放したかったんですよ。そんな想い抱えてるのも疲れるしいいこともない。

でも親だからこそわかってほしくてつい期待してしまう。

でも「もうなんかよくない?」って思えて自分の気持ちを成仏させたんです。

 

親のことは尊敬したい

 

で、仲直り?というか私たち母娘の関係もやっと新たなステージにいったな、という感じだったものの、それとは別の感情で私は母親の事が尊敬できずにいました。

 

うちは父親も母親もきちんと働いてるのを見たことがないくらい定職みたいなものがありませんでした。だからその反動でか、自分は仕事をバリバリしている人に尊敬の念を抱くし憧れるんです。

 

母親も父親が死んでからは微々たる遺族年金で毎日毎日TVだけを楽しそうに見て過ごしている日々。

カップラーメンや何かの新商品がでるとそのことで楽しそうに話してる。

 

そんな姿を見て、「自分はこんな老後だけは送りたくない。こんな何も生きがいがないようなくだらない人生は送らない」と思ってしまってたんです。

 

でも、子供は親の事好きでいたいし尊敬していたいもの。

自分の母親をそんな風に思う自分も嫌で悲しかった。

 

そして私がそう思っていること母親も感じるに決まっていて、気付いてるんです。でも何も言わない。でもそんなん辛いに決まってる。娘にそんなん思われるなんか絶対辛いじゃないですか。

 

 

そんな母親が自分の目指す人間像だと気付く

 

そんなこんなで変わらず過ごしていた時、友人と母親の話になります。

友人に上記の話をした時に衝撃的な転機が訪れます。

 

その話をした時「あんたのお母さん、めっちゃ心が豊かな人やな」って友人に言われます。

 

「え?」

いや、え?ですよね。

 

私はTVやカップラーメンの新商品にしか笑えないような人生嫌だと思ってる所に「豊かな人」ってワードが出てきたんですもん。

 

でも友人は言います。

「心が豊かやから、TV見てるだけでも楽しい。心が豊かやから、カップラーメンの新商品がでるだけでも楽しいんちゃう?そう思うで?」と。

 

確かに母はいつも楽しそうでした。

「私にはTV見るしかやることがない」と憂鬱そうなわけでもなく、ホンマに楽しそうにTV見て大爆笑してる。ホンマにカップラーメンの新商品について美味しいと言って笑顔になっている。

 

なんかうまく言い表せませんが、すっごい衝撃的でした。

 

 

私は

TVやカップラーメンなんてクソくだらないこと、そんなことで楽しそうにするなんてクソくだらない人生

と勝手に全否定してて、むしろそんなことで楽しいと思っちゃいけないとすら思っていたんです。

 

 

自分こそ「なんて貧しい心を持ってるんだろう」と文字通り愕然としました。

逆に「じゃぁお前は何になら面白いと思って笑えんねん?笑っていいと思ってるねん?」

て自分が自分に聞いてました。

 

「こんな風に心が極貧やからあんまり笑えなくて、面白いと思える範囲も狭くて、なんか不安でいつも心が疲れてるんちゃうん?」と。「自分の方こそなんて貧しい人生を送ってるねん」と。

 

でもそんな自分が人一倍「心の豊かな人間になりたい」って思って生きてきたんですよ?

 

なんか笑えてきて、ほんまにおかしくて、自分が「尊敬できへん!!」て見下してた母親が、実は自分が一番目指してた人間像やったって。

 

思えば母親は私が家を出て行っても大学を辞めてもキャバクラで働いても、婚約破棄しても海外に行っても東京に行ってもフリーランスになっても何しても、何一つ口出しして何かいう事はしませんでした。ずっと見守って、すごい自由に生きさせてくれた。

 

それは母親自身が常に満たされてて、豊かに生きているからだったんじゃないか。

「自分は自分の人生、娘は娘の人生。」そう思ってたからなんじゃないか。

満たされてる人は他人の人生に口出ししない。

 

そう気づいて、今までの苦しい気持ちが本当にこころの底から解放されたんです。

 

時間はめっちゃかかって私ももう34歳の大人やけど、遅くなったけど、ホンマにお母さんがお母さんでよかったな。私もお母さんみたいな心の豊かな人になろう。大丈夫、お母さんの娘やからな。ホンマにやっと心からそう思えました。

 

4月からまた実家を出るので、この気持ちは手紙にでも書いて母親に伝えたいと思います。

 

 

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