ともろーのプロフィール

 

お前誰?何してんの?

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現在、田舎の素敵なカフェで店員もしながら、移住者支援も行っております。

  

 

 

「よくまともに育ったね」と言われるともろーの家族構成

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引用:http://www.ashiya21.com/

よく「こんなファンキーな家族構成でよくまともに育ったね」と驚かれますが、自分では相当な変人クレイジーな奴だと思っています。まぁでも普通に育ちました。

 

言わずと知れた高級住宅街である兵庫県芦屋市のかなり端(全然平凡な地区)の出身で芦屋のネームバリューを乱用しまくり。(隣の川を渡れば西宮市になることは秘密)もともとは父・母・兄・妹の5人家族

 

かなりの男前。優しい性格でしたが、何かあると酒に逃げちゃううたれ弱すぎの父でした。私が19歳の時にうつ病で自殺。記憶のあるうち~死ぬまで父親の酒乱にはかなり悩まされます。(私の酒乱も父譲りのはず。でも全然かわいいほう(なはず))

父のネタは腐るほどあるので、面白おかしく書いていきます。

 

こんな父親とずっといたくらいなのでかなりの楽天家。私の性格はこの父母2人の要素を半々もちあわせていると思われる。

 

父と仲が悪く、15歳くらいから別々に暮らす。アホで通信制の高校しか行けず、それがかなりのコンプレックスだったため、「大学はいいところにいきたい!!」と京都のいい大学を受け続け、5年目にして合格。(ここは唯一尊敬)その後何かのストレスでいきなり、ドラムとピアノを購入して”君が代”を弾きだす。29歳の時にあと1年で卒業というところで退学。あほかーーーー!!今はなんかフリーターみたいな感じ。

 

中2からひきこもり。今は27歳だけど見た目はまだ中学生で無職。どうやって生活してるのか謎。むしろ尊敬。

 

 

料理に目覚めた幼少期

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幼稚園の頃は人見知りが激しくて1年間は登園できず。トイレに行くのが怖くて、昼でも夜でも漏らしまくりの泣きわめいていた4歳児。


小学校低学年のころから料理に目覚め、祖母に教わりいろんなものを作りまくっていたので家庭科の成績は1番。(ちなみに母は料理のセンスなし。弁当は茶色いし、母のつくるカレーがレトルトばっかりだった為、カレーが手作りできるものなんて知らずにしばらく育つ。)

 

中学時代の部活は剣道と茶道。棒だけを振り回していたので球技は大の苦手。バスケのドリブルがキモ過ぎて爆笑されたことも。走るのだけ得意。その他の運動神経は基本なし。 勉強はいたってまじめにやってました。

 

初のエロ体験に戸惑いしかなかった高校時代

高校では入学して茶髪にしたりルーズソックス履いたりJKをエンジョイ。いろんな人に告白されて、「もしかして私かわいいのかも」と調子に乗る。

手当たり次第付き合ってみるも、根は恥ずかしがりの根暗野郎なので、異性との付き合い方わからず、2週間~3か月しか続かず。

高2、初めてのエロな体験を試みるも「こんなに足を開くなんてどうかしてる無理」と思い、以後、高校生活でそっち系は皆無。友人たちが「彼氏どこに出してるの?お腹?」みたいな会話がリアルになんのことかわからずモンモン。3年の時に、「大学費用でも貯めようか」と思い近所にあったキャバクラで働きだす。

 

式場のキャンセル料は高かった。婚約破棄事件

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地元の女子大に指定校推薦で入学。料理が好きだったため、当たり前に入った栄養学科だったが、作るよりも考える授業の方が多く、「とても4年間もいられない」と早々に退学。調理師専門学校にいけばよかったと少し後悔する。

高校時代からのキャバクラバイトが思いのほか楽しく毎日飲み会、無料酒の感覚だった。楽しんでやっていたからか、ちゃっかりNo1になってたこともあり。(今思えば、自分が楽しんでたから、お金が入ったのかなと思う。)

大学を辞めたので、ひとまず気になる職業に手当たり次第チャレンジしてみる。

 

経験職種はこちら↓

暇だったので職歴を数えてみたら49ありました - トモローのあしおと

 

20歳から働きだしたアパレル販売員がはまり、大阪南船場のLAセレクトショップで店長になる。翌年名古屋に店舗を出すため転属になる。これがきっかけで3年間続けたキャバクラを辞める。しかし名古屋で店の責任者ともめて、名古屋入り3か月で退社する。(計2年勤務)

何もすることがないのでとりあえず時給の良いパチンコ店にて働く。当時の彼は、くそモテ男だったため喧嘩が絶えず、付き合ったり別れたりしていたところにパチンコ店のバイト仲間に好意を寄せられて付き合ってみる。

 

その彼は当時の彼氏と正反対で優しく、やばいくらいに優しかった。そのため勢いで同棲。しかし彼の優しさが重く、それはもう8Gのように重く感じ、そして自己中元カレへの未練が半端なかったため、別れを切り出す。

 

しかし別れ話をした3日後に妊娠発覚。堕すという選択肢は自分の中にはなく、「23歳やし十分遊んだわ」との思いもあり、彼との結婚を決意。

決意したからには張り切って式場を抑え、ドレスを選び、友人に報告、招待状もばらまく。しかし安定期に入っていたにも関わらず、赤ちゃんの心拍が止まってしまい、育っていないことが判明。さすがに号泣。しかし人生はきっとこういう風にできてるんだと思う。

 

そして赤ちゃんがいないのであれば、結婚を急ぐ必要がないと思い、その旨を伝えると彼は号泣。申し訳なくてやっぱり結婚すると約束してしまう。が、そんな気持ちで結婚できるはずもなく結局中止に。キャンセル料うん十万を支払う。

 

人生の迷走期・留学後の行く末が見えない!!

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結婚騒動でバタバタするも24歳を迎え、もう一度アパレルの職に就く。

しかし昔からあこがれていた語学留学を「今やらなきゃ後悔する」と思い留学することを決意。4か月で120万貯めて25歳でフィリピン、アメリカ、オーストラリアに留学。

ほぼ初海外でいろいろな価値観に出会う。自分には海外があっていると肌で感じる。

この頃に行ったこともないのに、漠然と「将来ハワイで生活したいな」と思う。

 

留学は素晴らしかったが留学後のビジョンが全くなかったため、帰国した26歳で人生初めての迷走に突入。やっべ何すっかな。そこで初めて、自分はいったい何がやりたいのかを考えてみる。

 

そこで料理が大好きだったことを思い出し、ひとまず料理人になろうと小料理屋で働いてみる。しかしあれやこれやと指図され、食器洗いなどの雑務に耐えれずやめる。じゃぁ次は「英語使えるかもだし」とのことで某旅行会社で勤務をしだす。しかし、「旅行に行くのはいいが、他人の旅行とかマジ興味ねぇ」と思い辞める。

 

次は「会社の金で海外に行きたい」と思い、そのたぐいのものばかり面接を受ける。すると中国駐在のアパレルバイヤーの仕事がすぐに決まる。単身、中国広州に。中国語はマジでニーハオしか知らないレベル。向こうで必死に勉強。1年弱耐えるも会社がブラック過ぎて、巻き込み事故に合うのが怖くて逃げ帰国する。

 

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広州在住の際、遊びでよく行っていた香港にはまり、もしかしたら東京も香港ばりに楽しい街かもと思いつき上京する。29歳上京物語だ。So いつの日か東京で夢かなえ~♪BYつんく

 

内省しまくった東京砂漠から現在

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東京にくるも自分には企業に属することが向いていない、とわかっていたので個人事業主になる決意。初めて誘われたネットワークビジネスに手を出すも借金だけが膨らむ。

 

たまたま知り合った社長さんが海外金融の仕事をしていて誘ってもらう。ここでネットワークを辞め、金融の勉強を始める。しかしこれは完全歩合制だったため、経費ばかりがかさみ、金銭的に困窮に陥る。半年間ほぼ無収入だったため破産(リアルなやつ)。毎日借金のことで頭がいっぱい。おかぁさん助けて!!

 

しかし半年たったころから結果が出だす。周りは年収1000万円超えプレーヤーばかりでお金をバンバン使うことの楽しさも知る。このころから勉強会を主催したりセミナー講師を務める。並行して勉強もかねて生保に入社する。

 

そして東京生活も3年経とうとした頃、わたしの本来の生きたい生き方は何だったか見つめなおす。“自然と接して、半自給自足の生活を送る”を目指しているのにお金と密接に関わりすぎて、そのギャップに耐えられなくなる。そこで高知県半農半Xインターンシップに参加。その時に、「田舎フリーランス養成講座”まるも”」の存在を知る。2月に生保の会社を退社し、養成講座を受講後、そのまま千葉県金谷に移住。現在は金谷をメインに東京と行き来する生活を送っています。

 

 

ともろーほしいものリスト - あっちょんぶりけは蜜の味

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